震災から20年「ボランティア元年と言われて」2015-01-18 16:27

阪神大震災の時は、地震で家が大きく揺れ、何かが布団の上に次々と落ち、この世の終わりかと思いました。
後で見ると、スチール製の本棚が頭のすぐ横に倒れており、下手をすると命を落としていたかもしれません。古い家でしたが、特に大きな被害はありませんでした。
当時市議になりたてでしたが、すぐに近所を回り、大丈夫ですかと声をかけて回り、翌日からは市内各地にできた避難所に行き、今の状況をお知らせするようにしました。
地震から2~3日経って覗いた避難所では、「今頃何しにきてんねん!」と怒鳴られることもありましたが、その後も避難所を何度も訪問し、仮設住宅建設状況や募集状況、義援金の受け取りの情報など、行政が発信する情報を通信にまとめ、避難した方にお伝えしてきました。
尼崎市内では、避難所から仮設住宅、仮設住宅から公営住宅に引っ越すための無料の引っ越しボランティアグループを仲間と立ち上げ、鍼灸師の先生が行う避難所での無料マッサージなどのお手伝いもしました。神戸、西宮の震災ボランティアにも参加しました。
その時に、一緒にボランティアをしていたのが、今の妻です。
ボランティア元年と言われたこの年、地域のつながりが見直され、無気力、無関心と言われた若者の評価が見直された年でもありました。