私が尼崎市議会議員になった理由2015-01-23 23:07

23年前、私が有機野菜を販売する八百屋をしていた時、明政会(自民党系 現新政会)に所属する議員が、北海道、沖縄の視察に行くという視察の申請をしていたのですが、実際には現地に出かけずカラ出張をしてしたとの報道がありました。
その後、社民党、共産党、明政会による不正出張の自主公表が続き、第3者による実態調査委員会において、公明党を含む全議員が行った視察269件、1940万円が不正出張だと認定されました。
この問題に大きな憤りを感じ、私は非公開であった議会の情報を公開する署名活動や議会解散を求める市民運動に加わり、全議員を詐欺罪等で刑事告発する市民グループの代表を務めました。
市議会(特に明政会と公明党)は議会の自主解散を渋りましたが、市民の力に押され、最終的に解散へと追い込まれました。
ところが不正出張をした議員が次々と市議選に立候補表明し、このままでは元の議会に戻ってしまうと考え、私は市民派として市議会議員選挙に立候補することにしました。
出直し選挙は、議員定数52名に対し、立候補者は89名という大乱戦でしたが、予想外の中位で当選。市議として、活動をスタートすることになりました。当時28歳でした。
「カラ出張問題を正すべき」という世論に押され市議になったことから、今も議員や行政の無駄遣いに関し問題提起を続けています。